谷崎洋一郎君のご逝去を悼んで
小林滋幸(68年度生)
谷崎洋一郎君について思い出話として書かなくてはならなくなった。本当に残念だ。
現役の時はフィギュアが同じ「大型」に属していたが、彼との付き合いは卒業後30年程して失業していた時から濃くなった。谷崎君が先に勤めていた企業のクレーム不良品交換を請け負う会社に紹介された。現地レンタカーで訪問し作業・報告をする仕事で、福島、山形、秋田などに行った。時々合流し夕食や、飲み歩きをした。秋田川端のアルサロはよかったが、タクシーに案内されたヤクザのスナックから逃げ帰ったことすらいい思い出だ。
谷崎君は2010年くらいから演劇に注力し、別表にその経歴をまとめたが、三洋座という劇団を仲間と立ち上げ、劇団員をまとめ4回の自主公演や運営は立派であったと思うし、またその都度OB/OG募集や懇親会の段取りまで小堤代表世話人には大変なご助力をしていただきました。





対外的な活動では関東学連14校の同学年で「酔輪会」という集まりが年1~2回18人程度で飲み会などをしており、二人で参加していました。また観劇にも数名の仲間が来てくれていました。明学の復帰の話では慶応その他も応援してくれています。今回の悲報に関しても献花をいただき、ほぼ全員がLINEでお悔やみをくれたのも谷崎君の人柄だと思いました。
世話人会当初より小堤代表世話人が「自動車部だより」作成発送、谷崎君と小林が名簿調査整理などを主に担当してきました。廃部に絡んだ経過はホームページ記載されておりここでは割愛します。
昔仕事で住んでいた沖縄に改めて渋谷池尻から5年前に移住し、以前から知っていた20歳近く年下で初婚の奥さんと2年前再婚しました。最近は地区の西原公民館カフェの祭イベントなどの中心人物となりNHKでも紹介されました。その活動と共に明学自動車部OBOG会の新代表世話人となり、Auto Clubを軌道に乗せることに力を入れることが今は一番の生きがいにしているとの奥さんの話がありました。その戦力を突然「食道がん」で失い脱力してしまいそうですが、ここ一番故人の無念の思いをくみ取りみんなで引き継いでいきましょう。
式典関係のご報告と、病気の経過など
二年ほど前に「食道がん」が発見されたようなのですが、どういうわけか、手術もせず民間療法的な、漢方薬などを飲んでいたとのことでそこそこに過ごしていたようですが、最近、がんの増大により、通過障害で12㎏やせてしまったそうです。
一人息子の敦(あつし)さんと、弟の恵二さん(二人兄弟)と三人で飲んだ時、
外見に合わず繊細なところがあり、どうも手術が怖かったのではないかとの二人の認識になりました。今の時代でもがんは外科的処理が主流で切れるだけ切除し、その後の処理はいろいろあるかと思いますが、残念です。
以前に仕事などで沖縄にいた時期があるとはいえ、今回行って5年のうちにいろいろ活動をしていたせいか、また人柄もあり大典寺の葬儀では参列者三十名くらい、焼香においでいただいた方五十名ほどの参列をいただいた、立派な葬儀でした。式典の様子の細部は下の写真をご覧ください。




合掌




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