あの人に会いたい
—- 羽田さん御夫妻は今—- “弥次” こと 正田一明(70 年度生)
御無沙汰しております。“弥次、喜多” でございます。
九州、長崎・佐世保編以来の2 度目の登場となりました。今回は“喜多さん” が都合により旅に出られないということで、大ご隠居(64 年度生 小堤兵吾さん)に代わりに同行していただきました。

今回の旅の目的地は山梨県の山中湖。そう、あの湖北寮の羽田さんご夫妻にお会いしに行ってきました。羽田さんご夫妻—— なんだかとってもよそよそしいので、失礼なが「親(ちか)さん」、「お姉さん」と呼ばせてください。—– は親さんが御年89 歳、お姉さんが??(内緒ですが83 歳)になられたそうですが、お二人とも非常にお元気でいっしいました。ご本人たちは「年のせいで頭の方がちょっと—。」と謙遜されていましたが、決してそのようなことはなく、22 年ぶりにお会いした弥次の事も覚えていてくださいました。感激です。(弥次は2003 年に行われた湖北寮50 周年記念祭に参加、その時に親さん一家とお会いしています。)

余談ながら、お二人とも介護認定はなし。要支援にもなってないそうです。
お姉さんは此のところ健康麻雀にはまっており、頭の体操を兼ねて週3 回ほど地域の健康麻雀の会に参加しているそうです。大ご隠居と趣味が一致したこともあり、お二人は麻雀の話で大いに盛り上がっておりました。(親さんと弥次は 蚊帳の外)
親さんは、何年か前に軽トラから落ちたそうで、大きな怪我をなさったとのこと。今はもうすっかり回復しているとのことですが、お姉さんが心配すること頻りでした。そんなお姉さんの心配にもお構いなく、親さんは免許の返納をすることもなく家の周りを運転しているそうです。(富士吉田ぐらいまでは行くそうです。)
そんな親さんですが、最近時間を持て余しており「畑でも作ろうかな」と考えているとのこと。でもシカやイノシシ、さらにはカラス、果てにはクマ迄出没 、畑を荒らすやら作物を収穫前にみな食べられてしまうなど、畑つくりの前に防護柵作りをしなければならないのが面倒くさいとおっしゃってました。


「湖北寮」は、今はもうなくなってしまいましたが、多くのOB.OG の方々にとって思い出のたくさん詰まった場所ではないでしょうか。春と夏の定期合宿から全関・全日の試合前合宿等々、長い時間寝食を共にした場所です。現状、湖北寮の建物自体は残っておりますが、親さん夫婦は近くの本家に住んでおり、全く使用されていないとのことでした。でも、親さんは建物内に風を通す等この建物の手入れを行っており、中はとてもきれいな状態を保っていました。今回はその思い出のいっぱい詰まった建物、その中の元の食堂のあった場所でお話を聞くことができました。本当にありがとうございました。親さん、お姉さん、どうぞいつまでもお元気でいてください。

お二人とお話を終えて外に出たとき、来た時には雲に覆われて全くその姿が見えなかった富士山が、うっすらと雪をかぶったその雄大な姿を、夕陽に照らされながら見せてくれました。そして、心の中も晴れ晴れした気持ちで帰路につきました。
羽田ご夫妻へのインタビュー




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